3.11に思う。原発の廃止を。

今日は、3.11の大震災か10年である。あっという間に過ぎた。3.11の悲惨なシーンは多くのTVの番組で見ている。しかし、その実態は、その場に行って初めてわかることもある。それは、震災後3年が経ち、震災に立ち向かう行事に参加した時だった。その行事を主催した人から、震災の被害を知ってもらうには隣市の陸前高田に泊まってみて下さいと言われた。

 陸前高田市のホテルに行くときはもう夜になっていた。全く外灯もない真っ暗闇の中、岡にあるホテルに着いた。そのホテルを紹介してもらった人から、そこの女性責任者は良く知った人なので会ってほしいと言われた。話を聞くと、陸前高田で料理店をやっていた人で、家は全て流されて、今はここで働いていると聞いた。随分、親身にお世話を頂き、真心を感じた。

 ご飯も終わり、売店を見ると、「奇跡の一本松のクッキー」、「奇跡の一本松の、、、グッズ」、いくつも奇跡の一本松関連のお土産品がたくさんあった。その時は、奇跡の一本松を出汁に使って、随分と商魂たくましいと思った。その当時は、奇跡の一本松も枯れてしまい、それを残すため、プラスチックで固めて模造松となっていて、そこまでして残すべきか疑問を持っていた。

 朝、早々にホテルの前から海岸側を見て、その風景に愕然とした。もう3年も経っており、家もポツポツと建っていると思っていたが、廃墟の5階建てのホテルが残っているだけで、海岸線まで何一つ無かった。陸前高田の海岸線は何千本もの防風林の松林が続いていたという。これがないことに愕然とした。言葉が全く出ず、涙だけが滲み出てきた。これは本当に酷い。

 その何もない景色の中に、以下の写真に写る3階建ての白い建物とポツンと奇跡の一本松が見えた。その奇跡の一本松は本当に健気に立っていた。これを見て、自分が模造の松にすることの疑問が飛んでしまった。何も無いからこそ、この一本松が復興の望みなると思った。売店でみたお菓子やグッズも、復興のための生きて行く術であることもわかった。

陸前高田 奇跡の一本松b.jpg

 上の写真の3階建ての白い建てものは陸前高田中学校である。この校舎の屋上を津波が超えて行ったと聞いている。この3.11の日は、丁度翌日の卒業式の練習のため、全生徒、全教員が校舎の横の体育館に出て居た。そこに大地震が襲い、直ぐに避難の号令が出て、全員が裏手の山に向かい避難をした。この日は雪の舞う寒い日で、全員が防寒具を着ていたことが幸運であったという。逃げる途中、松林が津波でバキバキと倒れる音聞き、電線が切れて津波の中に火花を見たという。この学校の生徒、職員は誰一人犠牲者を出さずに済んだと聞き、救われた思いである。陸前高田の死者・行方不明者は1200人という。

嵩上げも終わり、商行地に店が出来ている。コロナが終われば、何時かまた岡の上のホテルに泊まってみたいと思っている。