3.11大震災から9年経つ。今でもその壮絶な姿を思い出す。未だに復興はされいない。

3.11の大震災から9年になる。これは私の実際の体験である。ブログで話すのは初めてである。偶々震災日から3年数カ月後に、震災にあわれた人たちを元気づけようという企画があり大船渡市に全国から有志が集まり、私も参加した。大船渡の市内をバスで会場に移動したとき、3年以上も経っているのに、所々津波で破壊された家がまだそのままになっていた。その大船渡市の知人から、津波の被害を見てほしい、是非隣の陸前高田市に泊まってほしいと言われ山側のホテルに1泊することになった。その日の催し物は夕方終わったので、そこから陸前高田のホテルに着いたのは7時ぐらいであった。行きすがら道には外灯もない真っ暗な道をひたすら走ってホテルに着いた。
 翌朝早々、ホテル前から海岸方向を見た朝もやの風景である。そこには3年数カ月も経っているのに家一軒建っていない。海岸線には数千もの松が植えられていたという。

陸前高田一本松a.jpg

その横に目を移せば、嵩上げ工事の車の向こうに健気に立っているのが「奇跡の一本松」である。その姿を見て思わず涙した。それまで、枯れた松を切らないで合成樹脂で固めて保存することにそこまでやる必要があるのか?と疑問であった。しかし、この姿を見て何も無くなった中に何千本の中の1本が残ったことに復興のシンボルにしたい気持ちが痛い程わかった気がした。

その松の横の白い建物は3階建ての気仙中学校である。この3階の屋上を乗り越えて津波が通り過ぎたという。地震の時刻には、偶々卒業式の前日予行練習で、寒いので防寒着を着て全校生徒と全教員が横にある体育館に集まっていた。大地震が起こって直ぐさま全員山の方に退避の号令がかかり、生徒、先生全員が避難を始めた。逃げる後から松がばきばきとなぎ倒される音を聞きながら山に逃げ、その夜は寝ることも出来ず夜空を見ながら、肉親の安否もわからず不安の中で夜を明けるのを待ったという。卒業式であったので誰一人欠けることなく全員が助かったと、そこに勤めていた先生から聞いた。陸前高田市の死者は1,604人、行方不明は202人であった。何とも痛ましい話である。

陸前高田 奇跡の一本松b.jpg


もう9年経つが、復興五輪と称してオリンピックが開かれようとしている。復興五輪といいながら、オリンピック工事があったために復興工事は遅れたという。福島原発の廃炉工事は、当初計画から10年以上遅れている。未だに原発の再稼働を進めている。オリンピック招致の時、福島はアンダーコントロールと嘘をこいて招致した。この時代から平気で嘘を言う。汚染水は溜まり続けて、政府の御用専門家が海洋放出を提言している。この汚染水はトリチュウムが問題になっているが、実際は他の核種も入っているということだ。今嘘をつきまくっている森法務大臣は正に福島選挙区である。選挙区のための政治でなく安倍を守るための政治しかしていない。


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