これはないだろう。原発で死んだ人たち、故郷を奪われ人生を狂わされた人たちにあまりにむごい判決だ。

このブログでも再々、福島原発は人災であると述べてきた。この裁判の中で、元従業員が津波が十数メートルになる可能性を指摘していた。それは、経営幹部にも知らされていた。今回の判決は、絶対に安全だとそこまで経営陣にもめることは出来ないとした。この判断は、所謂一般の事故を想定したもので、原発事故の本質を全く考慮していない。まず言いたいのは、原発は一般の火事や爆発と全く違うものだということだ。なぜなら、火事、爆発などは一時的な出火、延焼ですむが、原発事故だけは現場に近づけないし、放射物質が飛散すれば死を招く。災害と言っても異次元の危険を伴う。したがって、経営者は、少しで災害の可能性があれば最大限の対策を取るのが経営者の責任なのだ。今回の判決は、原発の特殊性を全く考慮していない。

今回の判決を許せば、予測できなかったと言えば、そんな事故が起ころうが責任者は無罪になる。これが一般事故なら明らかに経営者は何らかの責任を取らされる。しかし、原発は国家お墨付きの事業だから裁判所が忖度する。今や、政府方針に反する判決は出さないようになった。これが自公政権でなければ真逆の判決が出ただろう。今回は検察審査会で2度の起訴が出て、強制起訴になったものである。国民目線での起訴である。これが無罪になるとすると、検察審査会の意味もなくなる。

住民側はあくまで控訴すべきだ。経営者を安心して眠らせるな。死者、故郷を追い出された住民が浮かばれない。また、同じ事故がまた起きる。


憤りと深いあきらめ 肉親と故郷奪われた被災者にとっての東電無罪判決
https://mainichi.jp/articles/20190919/k00/00m/040/251000c
会員限定有料記事 毎日新聞2019年9月19日

東京地裁の判決を受け、「全員無罪」と書かれた紙を掲げる福島原発刑事訴訟支援団の関係者ら=東京都千代田区で2019年9月19日午後1時22分、吉田航太撮影
 史上最悪レベルとされた原発事故に対する司法の結論は「罪に問えず」だった。津波による東京電力福島第1原発事故は予見できなかったとして、東電旧経営陣3人をいずれも無罪とした19日の東京地裁判決。3人は判決後に改めて謝罪したが、刑事責任は誰も問われない形となり、事故で家族と古里を奪われた避難者からは憤りの声が上がった。市民による強制起訴で始まった原発事故裁判の教訓は、どこにあるのか。

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この記事へのコメント

ゴメンテイタ―
2019年09月20日 00:51
司法が独立していないからでしょう。

「法の支配」ではなく「人の支配」だからこその判決ということだと思います。
安倍の支配ですね。